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4月17日


朝はたたら製鉄で鍛えたサンプルの小包丁を焼き入れてみる。刃文は良く出来ているが沸の粒が見えなく、におい口はしまっている。これで以前から注文を受けていた刺身包丁と小出刃が出来たので後日研ぐ事にして無料公開に使う玉鋼も少なくなってきたので折り返し鍛錬用に切ってあった炭で玉鋼6キロを造る。土曜日は南米より13名と他に見学者も有り火花を散らして弟子が打つ予定。


4月16日


先日の薪を使った玉鋼の1部を試作としてテストピースを造る。砂鉄の異なる玉鋼も5キロあるのでこれも明日鍛えてみるが炭を使った玉鋼よりも薪を使った玉鋼の方が粘りがある様である。


4月15日


定休日なれど県外へと送る包丁を研ぐ。5月からは短刀の予定なのでそれまでに包丁2本を仕上げて納品しなければ落ち着いて地金を鍛える事が出来ない。


4月14日


朝一番に松炭150俵が入る。6月始めにも150俵の炭入荷予定。これで弟子達も思い切りの鍛錬が出来て上達もする。2日間続けてたたら製鉄の火を見たので目が痛む。最新の保護メガネが届いたので使用してみたい。5月5日の子供の日から今回の玉鋼を使って御守り短刀を造り、嫁入り短刀にも持って行ける短刀にしたい。


4月13日


庭の木の剪定をしていたので炭とこの木と砂鉄を使い今日のたたら製鉄。歩留りは2割だが昨日と合わせて10キロ位の玉鋼を試作する。来週はこの鋼を鍛えたい。全員が日刀保玉鋼の折り返し。2級のB作であるが以前と比べて玉鋼の質が非常に良くなっている。砂鉄の混合変化なるか?


4月12日


朝6時たたら炉送風開始。右手指が痛むので作業変更。弟子の練習鋼も無くなっているので日刀保玉鋼だけでは不足するので鍛伸性のある日本産の玉鋼も必要。炭も日曜日に150俵入るので炭を少しでも減らしておきたく、明日もたたら製鉄の予定。


4月11日


朝の山歩き。桜は雨にも落ちず満開。1時間も歩くと汗ばむ。最近目の痛みとぼやけが気になるので眼科へ。多少問題もあるが1か月後に様子を見る事になる。自然に治らなければレーザ-光線による手術もあるとの事を妻に伝える。50年も鋼の沸かしの火の色とたたら製鉄の火の色を眺めてきたので目の網膜も多少痛んできたのであろう。しかし弟子達が刀工試験に合格する技術になる迄は神様に祈って元気でありたい。伝統技術を守る為に14名の弟子を刀工にしたがその先の孫弟子が全く育っていない。私の意思が弟子に伝わらなく破門にした弟子も多く刀工として日本の文化と伝統を受け継ぐ意思もない者も多い。今の弟子2名と山本君の弟子2名の育成に力を注ぐのみである。体力的にはまだ刀工を続ける事も出来るし資金も続くので日本人の魂を持った弟子を残して置きたい。刀工の養成は個人の親方よりも国が学校を造り刀工を国の力で育成しなければならないし、必要な炭、砂鉄も用意を文化庁が国策としなければ日本の伝統技術は続かない。GHQの目を逃れて日本刀は美術品であるとし、美術刀剣刀工とした事がGHQから独立した日本に今だ影を落とす。国家の為に命を捧げた英霊をまつる靖国神社に天皇、首相も参拝出来ぬ現状に英霊は悲しんでいる事であろう。


4月10日


久し振りに県外より注文を受けていた文化包丁を朝から鍛えて夕方に焼き入れ。山本君も短刀の焼き入れ。包丁は5月末まで注文中止にしているが、以前に受けた注文があと3本あるので月末までに刀の地金造りの合間にすませたい。夏が来る迄に少しでも多くの地金を鍛えておけば体に無理がいかない。火造り、焼き入れは多少暑くても出来るが地金の鍛錬は年を取ったので夏は無理である。夏の仕事は包丁造りで過ごす予定。弟子も同じく。


4月9日


12キロの玉鋼を6個に分けて各5回の折り返し鍛錬でやっと下鍛えを終わる。炭素量の多い玉鋼は延ばして切断をして4~5段の積み沸かしをかけて脱炭をさす。日本産わらは良く炭化して鋼に着くのでドロも良く付くが温度が過ぎると刃中の金筋の働きとなる部分が無くなる。明日の包丁用炭は完全に炭になっていないので動物公園で入手した炭を混ぜて切る。包丁の在庫も全く無く以前に予約を受けていた包丁だけは月末迄にすませたいと思っている。今年も暑くなる前に刀の地金だけは鍛錬をすませたい。


4月8日


隣町のJAで国産のわらが格安で手に入り付着も非常に良く折り返し鍛錬も変えて脱炭を防ぐ事にする。中国産は付着が悪く沸かしで脱炭が多い。今日は定休日で弟子もアルバイトに出掛け私1人の仕事。平日は弟子の指導で作業は週3、4日しか出来ないので注文に追われる。明日用の炭9俵を切ったので午前は刀の鍛錬、午後は包丁を鍛えてみたい。


4月7日


昨日弟子が鍛えた日刀保玉鋼を弟子の前で沸かし延べをして梃棒を2本造る。暑くて下着まで汗にまみれる。午後はオーストラリア、チリ人を前にして向槌で鍛える。初めての玉鋼であるが自家製玉鋼の鍛錬で慣れているので今日は上手に出来る。先日焼き入れをした刺身包丁も内面応力が取れたのでベルトサンダーで荒押し。刀の地金鍛錬で忙しいが包丁の注文者にはそれぞれの事情があり刀の合間を見つけて5本程製作しなければならない。桜、桃の花咲く春になり刀も包丁も一気に注文者が増える。


4月7日


弟子3人が日刀保たたらの玉鋼を使って折り返し鍛錬。自家製玉鋼と日刀保玉鋼の違いを知った事であろう。イタリアからの見学者も向槌を打つ。弟子も梃首が落ちた時の応急処置が今一歩。明日も頑張って日刀保玉鋼に慣れて刀工への道を。


4月5日


朝一番に刺身包丁に土置きをして焼き入れを弟子2人に見せる。その後は3回の降し金をして玉鋼を造りその上に日刀保玉鋼を積み沸かし。刀工試験では日刀保玉鋼なので先日練習用に120キロ程買い入れた。弟子はいつも私の自家製玉鋼を使うが初めての日刀保玉鋼に手間取るが明日はツーリスト客があるので火花が飛び散る日刀保玉鋼はパフォーマンスに向いている。昨日の午後庭のくろがねもちの枝と幹を切り見晴らしを良くしたので庭のしだれ桜の満開も良く見える。


4月4日


雨の止んだ朝桜を見に歩く。道中に6年前島根県奥出雲町にある日刀保たたら場で行われた講習会に出て女性ゆえ刀工見習の男子達にいじめられガス自殺した彼女のアパート前に立ち止まり手を合わせ元気だった当時を思い出す。生きていれば女性初の刀工になれていた事と思う。人生は1度きりであり悔いの残らない人生を送って欲しかった。あれ以来どれ程私の心が痛んだ事か。今君の果たせなかった刀工の夢を求めて弟子4名が修行に励んでいる。武道経験も有り日本人の魂を持った弟子達である。戦後80年間GHQの戦後体制を切り捨てる刀工になって欲しい。


4月3日


夜末の雨は粗末な鍛冶場をぬらし鍛錬が出来ないので刺身包丁の火造りをして過ごす。午後は県外から御客様が有り雑談で楽しいひと時であった。咲き始めた庭の枝垂れ桜も雨に打たれているが落花がないので晴天になれば満開となり目を楽しましてくれるだろう。


4月2日


朝から高炭素の鋼を鍛える。各地の特色のある砂鉄なので鋼を燃やしたくないがふくれを抜くのに少し温度を上げれば部分的に高炭素の銑に近い部分が流れ出る。この部分を上手にまとめれば金筋になるのだが。明日はこの玉鋼に少し炭素の低い玉鋼を混ぜて鍛える。地金の働きを出そうとすれば自家製鉄でなければならない。現代刀の様な変化の無い刀の地金では注文が取れない。今年は刀造りに追われて包丁の注文は出来ないと思われる。


4月1日


出雲は桜も咲く。パット咲きパット散る日本人気質に合った桜花である。静寂な金屋子神社に娘と2人玉串を捧じて祈念。1日をかけて450キロを走行。明日よりまた頑張って地鉄を造る。


3月31日


夜半手の痛みで目覚めて眠れず。朝迄自分の歩んだ人生を振り返る。学校卒業後大手の建設会社に入社、退職して刀工の道を修行し今日迄の50年間。高校の同級生であった妻と結婚して二人三脚の人生。振り返れば短い人生であった。残りの人生は私の後に続く日本人の魂を持った弟子の育成に捧げたい。今日は両親と共に工業高校に通う青年が来訪。


3月30日


弟子たちが私の喜寿を祝ってくれた。人生に1度だけの日、親方で良かったと思う。遠くから御祝い物も届く。毎日鉄の神様金屋子の大神様に日本の魂を受け継ぐ弟子を育てるための使命があれば一日でも長生き出来る事を祈っている。大東亜戦争は白人の植民地化に対してアジアの解放を求めた正義の戦いであった事をGHQは日本国民に知られたくない政策を銃口をのど元に突き付けてアメリカ製日本国憲法を押しつけた。刀は美術刀剣となり刀鍛冶は美術日本刀作家になり民族の魂を受け継ぐ刀工は戦後80年の間に居なくなった。取り戻せ民族の魂、神国日本を。


3月29日


3月始めに造った10キロの玉鋼をタガネと向槌で切断して折り返し鍛錬用の鋼2本を造る。桜も開花し見学者も増えるので駐車場の炭も整理して広げる。日中は初夏の季節となり暑くなったので涼しい時間帯に刀の地金を鍛えなければならず、刀の製作も大幅に遅れているので包丁の注文は秋位迄出来ない。時折鋼の試作で限定包丁が出るのでそちらを買って下さい。


3月28日


昭和22年3月28日。高知県土佐郡地蔵寺村703番地にて、父上田儀人。母藤子の長男としてこの世に生を受け77年と父母の年を超え現役の刀鍛冶として日本刀を打ち続ける丈夫な体を授かった事に感謝の毎日を過ごしています。刀工生活も45年の長きにわたり日本産砂鉄から自家製鋼で玉鋼を造り刀の斬味の良さで包丁も売れて弟子の鋼、炭代、昼食代がまかなえて、後継者育成にも頑張れている事を墓参の毎に報告出来ている。刀工生活50年を目標にあと少し元気な事を毎朝神前に祈っている。長年刀工生活を支えてくれた妻にも感謝の誠で一杯である。


3月27日


昨日の大雨は過去最高の雨量で煙突から耐火モルタルの間から水が火床に流れ出ているので、火床に火を入れても半日白い水蒸気が煙突から出る。作業も出来ずスプリングハンマーの金床の動きを止めるピンを造る。


3月26日


昨夜来の風雨も止まず。岡山県内から仕入れた松炭も炭にならず生木が多くて処分に困っていたが、40年以上も昔今泉先生から古墳時代の製鉄跡を中国縦貫道路の工事現場で見学した時に炭は使用せず谷間に吹く風を利用して枝木の生を燃やしてたたら製鉄をしていたことが判明した話を思い出して、今日は半焼けの処分に困っていた松を利用し、砂鉄はふるいにかける程度で磁石は使用しなく土も混ざってなるべく古墳時代に近い方法で玉鋼を造り見本用とした。次回はこの方法で造った玉鋼で短刀位は試作してみたいと思っている。


3月25日


昨日の玉鋼を刀用にして折り返し鍛錬を進める。弟子の練習用玉鋼の予定であったが炭素量が高過ぎて弟子の技術では無理なので再度たたら製鉄をする事にして夕方にはたたら炉を塗り替える。週末には見学者も多いと思われるので晴天になればうれしい。例年の事ながら桜の季節は外国人が多い。WiFi8万円、翻訳機2万円を投資して日本の刀造りの文化を発信し、作家ではない職人の生活を体験して欲しい。


3月24日


雨も明け方より降り今日は来客も居ないだろうとのんびりたたら製鉄をしていると次々の来客。外人も10人程見学するも翻訳機が大奮闘する。弟子3人がたたら製鉄の実習をして硬い玉鋼を造ったのでこれを刺身包丁の地金とする。


3月23日


外人客が来たのでWiFiの器具を利用して翻訳機を初めて使用。これから桜の季節となり刀の好きな外人は私のホームページを見て見学を兼ねて向槌を打つ。最近はヨーロッパからも外人が来るが翻訳機があれば日本刀の元であるたたら製鉄から語る事が出来て日刀保たたらの玉鋼を使う多くの刀工と、鍛伸性のある日本砂鉄を使う自家製鉄の優秀性も世界にPRが出来てその玉鋼で造った日本刀包丁の斬味にも驚く。明日はたたら製鉄を行なうので炉に火を入れて予熱をかける。


3月22日


今日も肩から足迄の痛みで休みて寝る。それ程無理はしていないので原因は不明。明日は外国より7名の見学予約がFAXに入っているが弟子の山本君に横座をまかす事にしなければならない。研ぎに出している刀も順番待ちで遅れている。


3月21日


坐骨神経痛で左足が痛みて山歩きは中止して寝る。強い痛み止めを飲み湿布薬を貼っている。最近は体調が悪く刀造りは遅れているが急ぎて失敗すると在庫の鋼が少なくなる。睡眠不足も続くせいか頭も少しぼやけ気味。無理の少ない作業を続けるしかなさそうである。あと5日後には77歳を迎える。生身の人間である以上長く生きたので多少の事はある。


3月20日


坐骨神経痛で作業を休み弟子2人の鍛錬を見学。弟子は皆仲が良いので鋼の沸く温度を2人で見て鋼を打つ。一門で一番大事な事は刀工になる同じ志をもって修行をしているので助け合い仲良くする事が一番である。早く技術を身に付けて刀工として日本刀の精神を次の時代に伝えて欲しいと若い門人に期待している。


3月19日


夜中2時に目覚め朝迄眠れず頭痛の夜明け。週末に弟子3人が折り返し鍛錬をして梃棒2本をダメにしていたので刀の地鉄鍛錬が出来ないので2尺程の梃2本を造る。週末には旅行会社がイタリア人の見学者を案内してくるので御土産用に包丁1本を研ぎ上げて用意する。


3月18日


1カ月ほど寝不足で心身共に疲れ果てていたが今日の定休日は温泉につかりて休み気分も爽快となる。明日よりは又頑張って刀と在庫の無い包丁を研ぎ上げたい。来客も春になり増えた。


3月17日


朝4時まで6時間やっと眠れる。眠れない事で心身が疲れている。今日は包丁研ぎで一日を終わる。昼前から春雨は降り続くが見学者も多し。やっと明日は休める。


3月16日


弟子3人に積み沸かしを指示していたが指示通りにしないので積み沸かしは失敗。目が痛みてぼやけるので無難な包丁の鍛錬をする。夕方には焼き入れをしてベルトサンダー荒研ぎをすます。来週にはたたら製鉄をして玉鋼を造らないと弟子の練習用玉鋼が少なくなる。


3月15日


体調は極めて悪し。無理をしないで包丁を研いで1日を過ごす。時折弟子の作業を見るが短刀の素延べも良く出来ている。明日は弟子達の積み沸かし作業の指導で体を休め定休日には温泉に出掛けて疲れた体を休めたいと思っている。


3月14日


今朝も体調は悪いが足腰の鍛錬の為山歩きに出掛ける。妻と娘の3人暮らしで老いてから動けなくなり家族に迷惑を掛ける事の無い様に、また刀造りが出来なくなっても小さな玉鋼包丁を造って地金の研究を続ける事が出来る様に健康でありたいと願って山を歩いている。今泉先生先生も94歳まで介刀を続けた。その年迄はまだ17年もある。無理をせず体調の悪い時は休み健康を回復させねばならない。


3月13日


頭痛が始まってより今日で3日。頭と目がぼやける。鍛錬をして失敗するよりは中止が良く休む。スプリングハンマーの調子が悪く鍛錬に悪戦苦闘の連続であった疲れと思う。


3月12日


昨夜来の大雨は今朝も続く。午前中は刀の地金鍛えを弟子に見せ午後は弟子用の玉鋼が無くなったので降し金をして鋼を造る。来週はたたら製鉄をしなければ玉鋼不足になる。弟子が多いので鋼も炭も見る間に無くなるが、在庫の炭も多く仕入れ先も多くなったので安心である。


3月11日


今日の定休日は昨日焼き入れをした包丁2本を研ぐ予定であったが頭痛とふらつきで寝て過ごす。仕事疲れと思う。包丁の地金は私が鍛え弟子が火造りをして私が手直し、弟子が土置きをして私が焼き入れをして研ぎ上げるが弟子名で安くしてあるが弟子名では売れにくい。親方の任務は弟子の指導と炭代稼ぎである。砂鉄も少なくなり日本産砂鉄の販売先を見つけなければならない。これ以上弟子が増えると外国産砂鉄を買わなければならなくなるし、炭の入荷先も無いので弟子は取れない。


3月10日


朝に弟子の火造りをした包丁を手直しをして午後の無料公開に備えて土置き。午後は3名の弟子が折り返しの練習。見学者は3名と少ないので私が包丁の焼き入れを見せる。3時以降は来週の刀の地金鍛錬用に8俵の炭を切る。半分の炭は崩れやすい火力の落ちる炭であるが半分の炭は700俵の在庫のある非常に硬い炭なので火力も有り混合しても岩手県の松炭よりも火力は有り弟子の育成の炭は当分足りる。


3月9日


弟子3名に包丁の火造り練習をさせている間に刀の皮鉄の鍛えに入るがスプリングハンマーの調子が悪くて苦労する。午後は見学者4名の前で弟子4人が折り返しの無料公開鍛錬にのぞむ。毎週2日間の見学者の前での作業も慣れて向梃は徐々に上手になる。時折時雨も降り西風の強い一日であるが弟子は汗を流しながらの修行。今から県北の勉強会に行くがきっと雪が降っている事だろう。


3月8日


朝は糖尿病科で検査。ヘモグロビンA1cは6.1迄下がり腎臓の値も問題無しとしてこの30年間で1番改善されていた。2年前に専門の医院にかかって良かった。上手く行けばインスリンも無くても良いかもと医師は言う。午後は煙突の水漏れ手直し、そして明日から始める刀の皮鉄の鍛錬に備えて2本の梃棒の補強、炭置場の積み換えをして今日も終る。


3月7日


定休日で山歩き。北風が吹き肌寒いが1時間も歩くと汗ばむ。その足でGSへ。冬場の出雲山中の金屋子神社参拝は雪も降り毎年冬用タイヤで4カ月程過ごすが今年は暖かいので夏用タイヤに交換。午後は鍛錬予定であったが1年前に包丁が落ちて右手親指の筋2本が切れたその傷跡が痛むので中止。この痛む傷跡を見るたびに去った弟子を思い出すが、刀工をあきらめずに東京の私の弟子の元で修業を続けている。あまり器用ではないが不屈の信念を持って神に祈って己の真心を尽くせば真の刀工となれる。自分の人生は自分で切り開くしかない。頑張って故郷に錦を飾れる事を。


3月6日


中国発のコロナも治まり最近は外国人の見学者も増えたので語学の必要性も有り工事の必要の無いWiFiを導入して翻訳機を買う。今迄は日本語英語で単語を並べていたが英語圏以外の外国人も増えて限度を感じる。弟子の火造り練習用の包丁を鍛え炭を8俵を切りて今日も終る。


3月5日


弟子2人が鍛錬と火造りの練習を兼ねて包丁を造っている。安価な炭なので力一杯練習を重ねて行けば上達する。炭は岩手県産よりも火力は強く長持ちもする。こんな良質な炭が岡山県内にあれば良いのだが。3種、4種混合の炭素量の高い鋼12キロを6個に分けて下鍛えをやっと終わる。銑気の強い玉鋼であるが上手にまとめれば変化のある地金となる。少し疲れたので明日は包丁を鍛えてゆっくりとしたい。夜半からの大雨は小降りとなったがまだ続き明日も雨の予報。


3月4日


日中は暑くモーターを氷で冷やしながら鍛錬を進める。午前と午後に分れて弟子が私の鍛錬の沸き始めの火花と鋼の温度を狭い鍛冶場で見る。本来は定休日であるが体調も良いので出たので弟子も気を使って出る。明日は天気も良くないので夕方には6俵の炭を切って終わる。


3月3日


弟子の鍛えた包丁に傷が出て表面の傷を削り取り裏側の肉を表側にたたき出し焼き入れて包丁を研ぐ。朝は冷え込み大霜で-3度。日中は寒い北西の風。三寒四温を繰り返し春も近し。今年の夏は暑くなるので鍛錬も急がねばならない。夕方には弟子2名が折り返し鍛錬の練習で今日も終る。


3月2日


昼迄私の鍛錬を弟子に見せ、午後からの無料公開鍛錬に使う鋼を梃付け、積み沸かしをかける。午後は岡山市にての会議に出掛け残った5人にまかす。


3月1日


昨夕来の大雨も止み一路金屋子神社へ。左足の膝の人工関節の手術1年余りを経た妻と2人で参拝。神前に榊を奉げ3月も一門全員が金屋子の大神様に赤き誠で日本産砂鉄を以って玉鋼を造り折れず、曲がらず、良く斬れ、尚古刀の地金にせまる真の日本刀造りに元気に励める事を祈念。