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刀鍛冶の日々:bizenosahune.blog67.fc2.com/

 

↑ 過去の記事(令和2年4月13日以前のブログ)はこちらで見てください。

 日々の仕事内容や感じたこと、出来事を書いています。

  


10月31日 打ち合わせ


昼迄販売の打ち合わせ、来週撮影に来る事となる。午後はメーカーさんより4時間に及ぶ対談について宗近君との打ち合わせ。玉鋼について映像を取りたいとの事で明日たたら製鉄を実施する事にして砂鉄の用意をする。今岡山県内では連日コロナ感染者が出ているので11月3日は内々に秋の大祭が行われるが気を使って11月1に参拝の予定であったが、妻が宮司さんに御目にかかり御祓いをしてもらった方が良いとの事で金屋子神社の参拝は11月3日にする。


10月30日 用意


スプリングハンマーの古くなって痛んだ部品の寸法を測り図面を書いてメーカーに送る。機種は違っても同じメーカーなのでなんとか製作してもらえると思う。鋼も無いので松炭を切りたたら製鉄の用意をして雨天に備える。明日は包丁販売の商談が終われば金床を溶接して修理をし、部品が届けば取り換えて次の注文刀製作に入る予定。何かと忙しい一日であった。


10月29日 試作包丁


昨夜は疲れて10時間眠る。人生初めての事である。スプリングハンマーは修理出来たが鋳物の金床台の上に2個の金床があり長年の使用で金床台が3ミリ程金床の形がへこみ鉄板を詰めても動きが止まらず、仕方がないので手打ち。包丁の鋼は北國産混入で7回鍛えでは粘りが出ず。鍛え回数の多い刀になれば脱炭して粘りも出ると思う。鍛肌は大板目。斬味は良い。11月1日に金屋子神社に参拝してからたたら製鉄を行うのでそれ迄に準備する。今回配合した鋼は火花試験では火花が小さく炭素量は不明だが包丁の土置通りに焼刃は入る。


10月28日 故障


これから同じ砂鉄配合を続けて刀を造るのに試作の玉鋼を包丁に7回鍛えて素延べの途中にスプリングハンマーのクラッチが故障。25年程前にも卒業した弟子が使用中にクラッチが故障したことが有り万事休止と思った。昼から夕方迄かけてなんとか修理。45年間も打ち続けたハンマーは部品も無く修理を続けながら打っている。刀鍛冶が続く限り相棒であって欲しい。


10月27日 続ける事


同窓生の紹介で備前焼作家が来所する迄に降し鉄や、梃子の補強を行い次の試作準備をする。私もずっと10年以前から備前焼作家の廃業を見聞きしてきた。焼き物が売れなくても続ける事はいかに苦しい事か。刀工も注文が無くて会社に勤めての日曜鍛冶も多い。独立した弟子も玉鋼を造り包丁やナイフ刀等を造って鍛冶仕事から遠ざからないでいる。独立しても辛抱の期間は有る。それを乗り越えた時本当の刀工になる。武漢ウイルスで独立して間もない弟子は不運だが鋼造りの技術で他方面に伸びる事も考えなければならない。


10月26日 炭入荷


休日の予定であったが岩手県より炭が入荷するので中心仕上げをしながら待つ。土曜日のたたら製鉄の疲れが続く。先月の炭と違って今月の炭は良さそうである。仕上げた中心3振りを持って研師宅へ。明日の来客3名で今月の予定は終わり少し楽になれそうなので肉体、精神の疲れ取りの為早仕舞い。今夜から頂いた鋼に関する近代製鉄の最先端技術の資料等に目を通し始めたたら製鉄、刀造りの資料としたい。


10月25日 炉組立て


昨日たたら製鉄で使用し冷えた炉の変化を見て炉の塗り替えを行い、いつでも使用出来る様に準備。週半ばから今回配合した砂鉄の良否を包丁で見て良ければずっとこの配合を続ける。この1年間たたら製鉄で出来た2トン程の鉱滓を業者の方に引き取ってもらい来年も御願いする。山本さんと2人午後は早仕舞い。月2回、4日間は山本さんと2人なので楽しく過ごせる。山本さんの専業刀工迄の後1年間を首を長くして待っている。


10月24日 たたら製鉄


朝迄一睡も出来ず。種々思いて眠れぬ。それでも新しい砂鉄配合の結果を知りたくて決行。午後2時30分早めに終了して玉鋼を得る。この鋼の配合比率でずっと造り進むつもりである。疲れた一日。


10月23日 たたら準備


たたら炉解体、塗り直し、炭切り、鉱滓の袋詰めをして廃棄炉に処分用意。火を付けて予熱準備。夜は九州より砂鉄を送ってくれた友人を迎えて刀の地金話に花が咲く。明日は山本君も鍛冶場で作業の予定。


10月22日 休養日


本来休みではないが激務が1週間程続き朝起きれないので休んで寝る。雨音を聞きながら時折夢もみる。温泉へ行く気力も無い程に疲れていたが寝るとあれ程痛んでいた両手の関節、首、肩の痛みも減少。無理して火造りをした右手の痺れも幾分楽である。もう少し作業時間を減らして年相応にしなければ弟子の山本さんが専属の刀工となった場合に教える事が出来ない。後1年が待ち遠しい。教える事は山ほど有る。独立した弟子達も刀造りの経験は少ないので遠く離れて自分の鍛冶場を持って、それなりに包丁の仕事が忙しいので修行に各方面に出るには勇気がいるし、生活が安定しないと行けない。若い時でなければ修行に行けない。


10月21日 焼入れ


約1カ月間かけて2振りの刀を鍛えて焼入れを行う。途中にはスプリングハンマーの修理等有り苦労したが、後は刀身・中心仕立てに1週間あれば研ぎに出せる。研師宅には順番を待つ刀が金庫一杯に有る。今7振りを出しているが年内に短刀が3振り出来る位で、九州への奉納刀は年内にハバキ・白鞘が出来新年からでないと順番が廻って来ない。世の中不景気と言われるが日本刀ブームで職方は忙しい。明日からはたたら製鉄を行い玉鋼を造り次の注文刀造りに入る予定。明日は雨なので焼入れには不向きなので早出、昼休み無しの日々で疲れ切る。独立した弟子もこれだけ注文刀を造る機会を見れば技術も上達するであろう。独立して1人になれば必ず作刀技術の壁に当たる。しかしながら見学に来て勉強しなければ技術は伸びない。


10月20日 火造り


2本目の素延べ途中に刃先に膨れが1cm程出たので削り落として火造り完了。黒皮を落としていると膨れ傷が微かに残っておりベルトサンダーで落としてせんで削り落とし、棟と鎬地をせん・ヤスリで整えて平地のせんかけは残して明日にする。たった1か所の傷で全てが台無しになる時も有り多数の砂鉄を混合すると面白い地金になるが日刀保玉鋼と比べて自家製鉄は傷が出易い。もう玉鋼の在庫も無くなったので次回からは1振り分のたたら製鉄でもう同量の配合比率を続けて地金の安定性を高める予定。夕方早仕舞をして病院2軒を廻る。


10月19日 焼き入れ


疲れているのに真夜中に目覚め今日の焼入れを考える。ミリ単位で長さの注文であり焼入れ時の反り具合で長さも変わる。北國産砂鉄入っており炭素量は高く、反り具合で手持ちも変わるが無事通過、曲がりを直し中心の焼き戻しを終わり内面応力を抜くのに1週間程寝かす。多分金筋も出ている事と思うし鍛え肌も良く出ているだろう。


10月18日 広島県へ


党員3名で中国ブロックの会合へ。新幹線より車の方が武漢ウイルスに感染しにくい。憲法の講義。GHQに押し付けられたアメリカ製日本国憲法(基本法)を変えない限り戦後は終わっていないのである。唯一維新政党新風のみが戦後体制打破を訴える政党。しかし党員が少ない。国民の自虐感からの解放を訴え続ける。


10月17日 思う事


武漢ウイルスは増え続けているので25人の家族葬で葬儀は終わる。料理も全員持ち帰り。76歳で人生を終えた義理兄の人生を振り返る。1度しかない人生に何を残したであろうか。振り返って我が人生73年を思う。大手建設会社を退めて刀鍛冶として独立以来41年間刀工として古刀期の地金を求めて砂鉄よりの刀造りを進めて何とか見通しが立つ頃には満身創痍。残りの人生を刀造りで終われば悔いは残らないと思う。


10月16日 気持ち


午前中葬式会場で妻の兄の納棺を終えて昼に帰り夕方の通夜に備える。76歳とまだ若いが透析を受けながら入院したが3日前容体悪化で岡山市の病院のICUに入るが2日後に死亡。原因不明で翌日病理解剖となり今夜通夜を迎える。人生の終末は判らない。自分の寿命が尽きる迄不屈の信念を持って刀を打ち続けるしかない。右手の痺れは一生治らないので嘆くより、作刀で部分的には助けを借りてでも打ち続ければ自分の一生に悔いは無いと思い金屋子神社に毎日祈ってこれが最後の作になるつもりで過ごした。死亡して我が魂は金谷子神社の足下に帰るつもりであり、その後の事は妻と娘に話してあり倒れるまでは作刀を続けたい。気持が蘇る。


10月15日 登録日


丁字刃、小沸出来でいたる所に金筋現わる。今年の脇差では1番の出来。昨年は刀の注文、今年は脇差の注文を頂く。最近では関東地方の注文が多いが10月は兵庫県から久しぶりの注文が入る。荷造りをして注文者に送る。明日は身内の通夜、明後日は葬儀で2日間作刀は休みとなる。


10月14日 せんかけ終わる


昨日せんかけをした刀の手持ちが少し前半分が重たいので重ねを削り落とす。これで反りが付けば軽くなると思う。大切先の注文であるが寸法が短いのでバランスが取りにくいので焼き入れ後多少の調整が必要と思うので中心の重ねは厚くしてある。刀は斬るか、突くかにより体配を考えるが、おまかせ注文が1番楽である。焼入れ炭が無いので夕方迄炭切り。明日は刀の登録日なので週末焼き入れ予定。


10月13日 姿直し


昨日焼なましをかけて置いた刀の歪みを直し、せんかけに入ると鍛接の弱かった場所にゆるみ傷1か所が出たので身幅を1ミリ程引くと傷は取れるが今度は刃の線を揃え刃先の厚さを均一にするが棟の反りと刃先の線が合わなくせんとヤスリで棟を削りながら焼入れ前の姿に造る。刀を焼入れすると硬くなり、せん・ヤスリでの姿直しは難しくなる。斬味を求められた刀なので炭素量は非常に高くしてあり焼き入れ後の反り具合と注文の長さを考えながらの調整をすますが明日もう一度姿を見直すことにする。


10月12日 火造り


1日半休んだのでいくらか右肩の痛みも良く右手の痺れも和らいだので火造りを始めるが、やはり上手く火造りが出来なく普通なら4時間で丁寧な火造りが出来るが今日は6時間かけても手槌が上手く使えず鎚跡が残る。少し厚くしてベルトサンダーで削り火造りを完成させる。明日はせん・やすりがけで土置きが出来るように仕上げる予定であるが、炭が悪かったので十分鍛接が出来ていない部分も有り心配である。今日の火造りも炭になっていない生木が燃えて火が見えずらい。


10月11日 弟子の事


昨日からの休日でゆっくりと眠る事が出来、鎚を持たないので両手の指も小指以外は痺れる程に戻り1カ月前に罅が入った小指はまだ痛む。肩の痛みも半減したが調子が良くても痛みと痺れは元通りに治らない。もう元に戻るとは思ってもいないが休日を取って休み々の仕事を続けるしかないだろう、弟子が刀を造れる様になる迄あと少し頑張らねばならない。弟子も生活を考えると手取り早い包丁造りが主となる。もう少し刀の注文が来る努力をしなければ包丁鍛冶で終わる。刀は沢山の量を造らなければ上手になれれない。包丁は沢山の砂鉄の種類の配合を見るだけで作刀技術の上達にはならない。本末転倒にならない様にと思っている。


10月10日 切替え


昨日のスプリングハンマー解体のため大ハンマーを打ち続けたので、今朝も右手の痺れは残り手槌が使えなく素延べの終わった刀の棟打ちのみで火造りを終える。今秋から土曜日は半日、日曜日は休日とし来客時だけ顔を出す。少しでも体を休めて長く刀造りを続けるにはこの方法しかない。春には九州の奉納刀が終われば刀鍛冶として鎚を置いても良いと思って作刀を続けていたが次々と注文が入るので鎚を置けない。それと共に卒業した弟子達が短刀や脇差を造れても今だに刀を造る事が出来ないのでもう少し親方でいなければならないと思う。伝習所の代表は山本君に任して私は日本刀製作所にして私で終わるが、伝習所を引き継ぐ山本君が今だ刀造りの技術に達していないのでもう少し指導しなければ伝習所も新弟子の入門も引き受ける事が出来ない。私も今泉先生の様に長い作刀生活を続けようと思えば一人仕事ゆっくりでなければならない。玉鋼の在庫も尽きたので次回の刀から砂鉄の配合比を同一にして同じ地金の刀を残りの人生造り通したい。長い研究もこれで終わりとする。研究は残った弟子がする予定だが弟子は砂鉄の種類、分析迄考えていないと思う。

 


10月9日 素延べ完了


治療中の足は又痛み始める。昨日の続きを父が行軍中に歌った軍歌をCDで聞きながら調子の悪いスプリングハンマーで素延べを終え手打ちで修正。ハンマーを解体修理完了。これで2振りの素延べを終え明日から火造りに入る予定。父は砲兵隊で武漢攻略作戦で双眼鏡で敵方への距離、角度を指示している写真に祐定の脇差を軍刀として吊るしている写真を思い出す。後半は南方にて夜襲に日本刀を用い大奮闘、腰には南部14式拳銃。生きて金鵄勲章を頂くが兄は戦死、靖国に奉られるが国の為に命を奉げたのに平成天皇の参拝は無く、令和の天皇も同じと思う。敗戦後GHQの造ったアメリカ式日本国憲法は天皇は日本国民の象徴と記されているからである。元を言えば中曽根首相が中国に忖度し靖国参拝を中止したからその後の歴代首相も参拝に二の足を踏んだのである。一日も早く日本国憲法を破棄し、日本人の手で日本国憲法を造り自衛隊を法的に軍隊としなければならない。スパイ防止法、敵地攻撃等変えて普通の独立国家にならなければならない。その中心に置かれるのが日本刀である。安物の外国式サーベルよりも日本刀を腰に吊るして日本精神を発揮しなければならない。


10月8日 修理続き


昨日金床のピン等を直したので今日は安心して心鉄を鍛えるが心鉄の炭素量は低いのに硬くて、金床が動いたり、ピンが抜けたり、溶接も少し切れる。心鉄の沸かしをしながらの修理も非常に疲れる。動かない金床のピンが抜けそうで抜かない。これさえ抜ければ全て解決するのだが。皮鉄と心鉄を合わせて造り込み1尺5寸迄伸ばし今日は中止。また金床をばらし鉄板や鋼板を敷き素延べの一時的直しをする。これが終われば全面改修と思っている。


10月7日 素延べ


スプリングハンマーで荒素延べをすまし手打ちで細かく直す。天気予報では雨が続くとの事で昼まで炭の切り増しをして明日からの心鉄と造り込みの準備。台風14号が過ぎる迄は切炭に困らない。今日も金床の修理に手間取る。朝は涼しいが日中はまだ暑くて鍛錬は無理だが台風の影響で日中の温度が明日から低くなる。注文も多いので早く寒くなって欲しい。


10月6日 荒素延べ


炭が悪くて火花が見えなく鋼に火が付き燃えて小さくなるので500gの鋼を9個鍛えて皮鉄に鍛接して目方を増やす。 心鉄は少し炭素量の低めを7回鍛えて造り込み。 スプリングハンマーのピンが何度も何度も取れて鍛錬中に修理。 抜けて欲しいピンは抜けず時々作業は中断で気分的に疲れる。 荒素延べは1尺6寸迄で熱くて日中は出来なく早朝に伸ばす。 午後は鉄板を薄くして各所のピンが抜けない様に補強する。 ハンマー、金床が全体的に調子が悪い。それでも足の治療効果が早々出て足が痛まず。


10月5日 参拝


先月から硬い鋼を刀用に鍛えていているが折り返しの時タガネで切る振動が肩に来て右手の感覚が無くなる。頚椎を痛めて5年程になるが最近は悪化している。心も痛む。金屋子神社で身と心が揃う事を祈願して帰り道温泉へ。明日からは又心鉄鍛えゆっくりと休みながらの仕事となる。


10月4日 偲ぶ会


昨日の銘切りの疲れが残るが同士逝きて5年祭を迎える。私より10歳も若い民族派の女性闘志が居なくなり、維新政党・新風の岡山県代表を引き継いたが刀造りが忙しくて月1回の勉強会がやっとである。私は刀造りが私に出来る民族運動と思い弟子を育ててきた。最近やっと弟子も刀造りの精神が判って来た様である。これからも勉強をして次の世代に民族の魂を伝えてもらいたい。今全国に新人弟子は8名程と非常に少なく専行の刀鍛冶も30名程と先は見えている。長い民族の魂を造る卒業した弟子達が早く専行の刀鍛冶の成れる事を願っている。


10月3日 銘切り


昨日仕上げた刀2振り、短刀2振り、脇差1振りを弟子の山本さんに持ってもらい銘を切るが、九州砂鉄の鋼は硬くて銘切りタガネも歯が立たず上手く銘が切れなかった。刀身の鋼も硬いので中心も十分焼き戻しをしたのに。注文者には申し訳なく残念の一言。銘を切り直せばもっと悪くなると思う。


10月2日 中心仕上げ、病院へ


5振りの刀剣中心を仕上げ、スプリングハンマーの金床が動かない様に溶接、金床の上下も溶接、ハンマーのカミソリも鉄の溶接棒で追加溶接。これで来週から心鉄と造り込みが出来ると思う。古いスプリングハンマーなので直し々使うしかない。午後は両足に結石を砕く衝撃波を当てる。すでに10月も脇差の注文も入っているので早く治したい。足が痛む人が多いのか1カ月先迄順番が立て込んでいる。1回の治療で2万円でも治れば安い値段である。


10月1日 皮鉄完成


岩手県より9月中旬に仕入れた松炭は完全に炭に成らず木の心迄半分ほどの量が炭に成らず、炭であるのに沸かしの火花が木の燃える炎に邪魔されて沸かしの温度が合わず。ここまで悪い岩手県の松炭は過去に無し。注文していた県内産炭も11月迄でなければ出荷されず最悪状態。2振り分の刀の皮鉄を完成させたが傷の出る感じがする。刀造りは炭が良くなければ傷になる率が高い。


9月30日 鍛錬続く


砂鉄の配合を変えて造った鋼を又組み合わせを変えて鍛錬すると思いもかけない良さと苦労が有る。今日も鍛錬中の鋼が固く梃子首が折れ鍛接が思う様にならず梃子が刀身の鋼に入る。全く違う鋼なので膨れも出る。それでも9回鍛え2個を造る。明日は3回程鍛えて膨れを抜き他の鋼を12回鍛えて合わし15回迄鍛えて皮鉄を造る予定。注文刀が同じ長さで二振りきているので同時進行なので忙しく炭切りや手伝いが欲しいなと思ったりもする。昨夜も眠れず頭痛がするので昼迄で終わり昼寝をする。


9月29日 上鍛え


下鍛えの終わった鋼2個を組み合わせて5回鍛え、次の2個を鍛えるが硬すぎて伸びず。どうも北國産砂鉄の鋼の量が多い様で馬力の有る弟子のハンマーで2個に切断して小さく鍛えてみる事にした。梃子付けをして炭を切って明日鍛える様にして昼で疲れて終了。私のスプリングハンマーも金床がずれて調子が悪い。人間でも年を経ると病気が増える。スプリングハンマーでも50年近く使えば調子も悪くなる。大小合わせて千振りは鍛えているので直し々の使用である。


9月28日 下鍛え完了


毎日昼迄鍛錬をして暑い午後は翌日の炭切りをして少しずつ刀造りを進めているが、やっと10キロの鋼を5回の下鍛えが終わる。夏迄の注文刀も終わり新しい注文なので時間的余裕も有り暑さの残る10月中旬までは半日鍛錬にして無理のない様にしている。一人仕事なので自由に残りの人生を刀造りに生きたい。新しく独立した弟子もそれぞれの生き方をしているので良いが、包丁造りの延長で刀を造らないで欲しい。そこには尽忠報国の精神が無ければならない。刀鍛冶としての日本の精神はそこに有る。刀の注文は無くても常時作刀を続け、合間に砂鉄の試験を包丁ですれば良い。


9月27日 休日


彼岸を過ぎ、台風の大雨も過ぎると吹く風も秋のさわやかな風となる。注文刀の銘切り5振りをすますと短刀、脇差の仕上げでほぼ終わる。昨年の秋から忙しい程の刀剣と包丁を鍛えた。今日は昨日仕上げた中心にボールペンで下書きをするが、頚椎を痛めてより右手が痺れて上手に書けない。元々下手な銘であるが刀身の出来で評価するしかない。一門の弟子は皆銘が上手であるが年を経ると銘が弱くなるのは常識である。今、刀の注文2振りが入っているので製作中であるが11月後半よりは「ふるさと納税」の返礼包丁製作に入らねばならない。一人で暇な様であるが結構忙しい間の休日である。


9月26日 中心鑢仕上げ


左足は昨日の鍛錬で痛む。おまけに右手小指も痛むが奉納刀、予備、おそらく造りの3振りを仕上げる。もう1振りのおそらく造りと脇差の下地が出来たらまとめて10月3日に銘切り。山本君が土曜日大阪から帰って銘切りの刀を持って手伝ってくれる事になっている。体力も落ちたし視力も落ちた。下手な鑢がけもこれ以上触ると余計悪くなるので止めた。指が痛むと銘切りも出来ないので午後は休む。気力だけは残っているのが奉納刀はこれが最後になる。73歳の老いた歳を思う。


9月25日 睡眠不足


昨夜から今朝にかけて思いもよらない大雨が朝迄降り続き、奉納刀の予備の中心元に髪の毛程の砂鉄の鉱滓をかんだ傷が出て処理を考えると朝迄眠れなかった。それでも奉納刀が無傷で良かった。鍛冶場の2階仕上場で超々合金の磨き棒で鉱滓を取り除くが、もう一度研師さんに下研ぎを御願いする。雨も続き朝から折り返し鍛錬をするが鋼の性か少しふくれが出る。ふくれ0が出て鍛接の悪い鋼に傷が出る率は高い。


9月24日 大修理


数日前から金床2個が直しても傾きピンが抜けなく今朝はスプリングハンマーの鎚が抜け落ち、15キロ程の重さの打ち落とす溝を溶接していた。補強の溶接版が割れ落ち午後迄本体の鋳物に鋼板をステンレス棒で溶接して当りをグラインダーですり落とし、梃棒でたたくと溶接にひびが入るので、又やり直し古いスプリングハンマーであり自分で修理しながらの刀造りは疲れる。


9月23日 刀造り始まる


今朝より早出をして涼しい時間帯に3時間程折り返し鍛錬を始めるが、途中でスプリングハンマーの槌が外れて修理。鍛錬はまだ暑くて限度は3時間。明日の使う炭切りをして昼前終了。午後は金沢君の看板が出来たとの事で見学に行く。展示室も出来たので出発。


9月22日 眠れない毎日


最近は夜中の1時から3時には目覚める。今春3月より6月迄無理をして両足低骨の変形をおこし、今1時間半程離れたスポーツ外来で毎週1回痛み止めの注射を打っているが薬の種類が違うのか痛みが和らいできた。後10日程で体外衝撃波治療を受けると非常に良くなると言われ予約は多い。足の状態が悪かったので急ぐ刀の注文は受けなかったが、治療の効果があれば砂鉄も一生仕事をする分有るので受注しても良いと思っている。眠むる事が出来ないので布団の中で仕事の事のみを思う。


9月21日 友来たる


九州砂鉄を送って頂いた御夫婦が福岡県より出雲大社、金屋子神社を廻って昨夜自宅に久しぶりの再開で御酒を頂き旧交を温める。大牟田市の水害上状況をタブレットで見るが自宅は高台の為水害をまぬがれる。良かった。九州砂鉄で造った奉納刀の影打ちを三振りを見て頂き、奉納刀は研ぎの途中肺癌の手術で仕事が止まっていたので奉納の折御見せ出来ると思う。話はつきず。


9月20日 夜半の目覚め


夜半2時前に目覚めて40年間の刀工生活を振り返る。入門者30名で文化庁の試験に合格した者14名。自分で独立して専業の刀工はわずか4名であるが、刀工として残るのは2名位。土・日曜刀工は3名。他に就職した者多数。長い年月と炭代をどれだけ消費した事か。振り返って考えれば一体刀とは何か、今の時代にどうして打ち続ける必要が有るのか、その必要性と自覚を持った者だけを入門させれば良かった。刀工の使命、自覚等は日々の中で教えれば良いと思っていた事が間違いだった。初対面で相手の全てを見る事は不能である。73歳になったがまだ一生使う砂鉄の在庫も十分にある。そんな強い意志を持った青年は今の時代には居なく飯を食う為の職業となっている。年を経た老兵の夜半の目覚めである。

 


9月19日 焼入れ


昨夜は眠剤の影響で朝迄れ寝れないので朝5時よりせん・ヤスリがけをすます。山本さんが顔を出してから土置きをして、炭素量の低い短刀の焼入れ水は氷を使い18℃迄水温を下げて焼入れる。明日は室町期の鎧通しの姿に修正する。短刀の重ねが厚いと思うような反りが付かない。通常の短刀とは違い組み打ちで使うのでそのような形状が必要となる。姿直しの修正城も考えなければ難しい姿である。


9月19日 火造り


スプリングハンマーの調子は良くないが短い短刀でハンマーを直し々素延べ迄進む。右手で手槌が使えないのでハンマーで荒打ちをして直し々火造りを終え、スプリングハンマーで荒打ちをしてベルトサンダーで削り取る。随分と無駄な鉄・炭を使ったが弟子一人いなく砂鉄は余る程有るので安心して仕事が出来る。


9月17日 鎧通し造り


材料は混合砂鉄で用意をしていたので今朝より始める。怪我で10日間も火床が冷えていて炉の温もりは全く無く、炉が温まるまで鍛冶場の片付け。日本海側の砂鉄3種類で粘い鋼を3回折り返す。貴重な砂鉄の手持ちも少ないので大事にしていたが、もう弟子の入門も無いので残す事なく使い切りたい。左足に続き右足も痛み止めを打ち10月2日に体外衝撃波治療を両足受ける事になった。手の痛みは和らいできた。


9月16日 右手今だ痛む


右手の小指は腫れて今だ痛むが毎日寝ていると体全体が弱るので鍛冶場で軽く炭切り。初めて長い事寝たが今だ体中が痛む。運動神経が鈍り転倒、老化現象が始まったのであろう。倦怠感につつまる。無理をせず健康に気を付けて1週間に1度の休みを取ればもう少し頑張れると思う。明日からは少しだけ鍛錬も始める。残りの人生に使う砂鉄は確保してある。余れば弟子が使えば良い。


9月15日 作刀方向


昨夜関東の方から某作家の様な地金の刀を造って欲しい旨のメール有り。現代の刀工は外国の砂鉄を使い、また近代製鉄の鋼を混合して刀造りをしている方が多く、私の様に国内の砂鉄のみの刀造りをしている刀工は非常に少ない。自分の砂鉄で鋼造りから刀を造り外国産の鋼を使わないのが個性であるので私には無理であるが、国内の鋼でも産地を変え炭素量を変えれば肌物も出来るが外国産とは大きく異なる。今日は昨夜の事を思い鍛冶場に出るも右手が痛く、あと4~5日は痛むだろう。