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刀鍛冶の日々:bizenosahune.blog67.fc2.com/

 

↑ 過去の記事(令和2年4月13日以前のブログ)はこちらで見てください。

 日々の仕事内容や感じたこと、出来事を書いています。

  


11月28日 炭入荷


朝炭入荷。炭小屋は岩手県産の松炭で一杯であり、駐車場にうず高く積み嬉しさでも一杯である。早速たたら製鉄に入る。前回のたたら製鉄は岩手産の松炭を使っていたので今回の県内産の雑木で吹けば炭素量も少し下がると思っていたが、火力が強く鉱滓抜きの最初は鋳が300gも火花を散らし流れ出るので風力を押さえて吹く。砂鉄25キロで玉鋼11キロと4割を超す出来。少し鋳気があるので切断は楽であり、松炭4俵を切って終わる。今日の松炭も岩手県産の松炭より締まりがあって明日の鍛錬が楽しみである。


11月27日 鍛錬開始


脇差の鍛錬で梃子棒が痛んだので包丁用に造っていた玉鋼で梃子棒2本と梃子首の補強用の鋼8枚を造り、昼迄に1.6キロの鋼を2回折り返す。松炭を使った鋼は吸炭して炭素量が高く堅い。昼休みは無しで新しくメーカーに造ってもらったクラッチ関係の部品を新品に取り替えて溶接をする。スプリングハンマーが新品に見える。これで少々硬い鋼でも十分に打てる。明朝県内産炭が松70俵とたたら用炭90俵入荷するので、たたら炉を解体して塗り直して砂鉄の混合をして明日に備える。


11月26日 運動の日


いつも狭い鍛冶場内での仕事で歩くことが殆んど無いので今日の休みは少し運動をしようと思っていた。10人余りのグループが年齢、性別を問わず自由参加で小さな山の遊歩道の登り下りを1週間に1回行っている。初参加でラジヲ体操・準備運動をして1時間、5000歩程を歩く。終われば体操。年齢と体力を考えれば頃合いの運動量である。今の体力を維持し休日としての山歩きで気分転換にもなる。1日でも長く刀鍛冶を続けるためには必要な時間かも知れない。


11月25日 焼入れ


11月2日以来休日無しでたたら製鉄を合計5回、脇差は11月8日以来やっと今日焼き入れをする。午前中の焼入れは天気は曇りで良かったが、引土の耐火度が高く新しい鋼には強過ぎるので午後から引き土を変えて焼入れ。粗見すれば多くの刀工が沸え出来を狙う時に利用するスクラップを利用した電解鉄の様な沸えが付いている。しかし研ぎ上げれば地金は砂鉄なので鍛え肌が違う。今日は50年前学校を卒業して前田道路に入社した秋、23歳の時であった。元々父親から大東亜戦争の正当性を聞いて育った右翼少年で、左翼の社会科教師と自衛隊に対する激論をしたものである。11月25日この日がきっかけで私の生き方が変わった。民族の魂日本刀を打って日本の伝統を守る思いになった。小学校の頃から戦地で腰に吊るした日本刀で戦った事をいつも聞かされ、金鵄勲章を始め漆塗りの箱に金文字で書かれた4個の勲章に子供心に国家の為に生命をかけた父親に尊敬の念を抱いたものである。刀工として独立以来40年間で14名の弟子を刀工に育てた。10年余り前から目を痛め、5年前から首と肩を痛め刀工として最後になるのではないかと思いながら奉納刀を5振り製作。6月に研師さんに出したが各職人さんも日本刀ブームで忙しく年末位にならなければハバキ、白鞘が出来なく仕上げ研ぎは正月からに成りそうである。首を長くして待っている。以後どれくらい刀工人生を歩む事が出来るか。毎朝神様に祈っている。


11月24日 新しい鋼


残った刀工生活で使う3種混合の比率を定めた最初の鋼をせんかけして刀身の平面のむらを削るが非常に粘りのある刀身である。仕上げ場を掃除し雑巾がけをして明日の土置き用意。午後3時まで細かい焼入れ用の炭切りをしながら長い期間の自家製鉄を振り返りながら、折角刀工許可を取りながら辞めてしまった弟子の事を思ったり、残って独立した弟子の将来を思ったりする。足、肩も良くなったのでなんとか後3年程は元気で刀を造りたい。


11月23日 撮影用意


午前中は一部屋の窓2か所を塞ぎ暗所を造り撮影室として山本さんの脇差2振りの写真を撮り、その後は12月5日に4時間の撮影に備えて準備と打ち合わせ。県内には私の弟子2名が鍛冶場を造り作刀をしているが全く寄り付かないので他の2名に協力を求めて当日向槌と横座を頼み、私は対談に応じる事を決める。午後は先日の脇差を荒砥ぎをして黒皮を落とし、せん・ヤスリで棟と鎬地を仕上げて残りは明日の仕事として国旗をしまって1日を終わる。独立した弟子の菊池君と平田君がもう少し近くにいたら古式鍛錬も出来るのだが、東京や埼玉県では余りにも遠過ぎる。


11月22日 三島祭


三島由紀夫、森田必勝の命の自刃より2日前ではあるが50年祭を岡山県護国神社にて斎行する。出席者30数名、主旨は現憲法を廃止し日本人の手によって新憲法を造り世界各国と同じ自立した国軍を造る事である。詳しくは「檄」文を読めば納得出来る。自刃より50年経ても今だ米国の核の笠の下で自立出来ない日本。戦後は終わっていない。


11月21日 たたら製鉄


今日は岩手産の松炭で玉鋼造り。流れ出る鉱滓の温度は1380度と少し高いのは松炭の性である。28キロの砂鉄を4時間かけて吹く。たたら炉解体は山本さんが手伝ってくれる。玉鋼は非常に硬くなんとか半分に切れたが、少し玉鋼の温度も下がりたがねがはじき返される。山本君が火箸で持ってくれたのでなんとか4等分に切断する。非常に疲れたが良い玉鋼の在庫となる。


11月20日 火造り


頚椎を痛めてから5年余り肩の痛みと手の痺れで悩んでいた。毎週治療に来る整体の先生は肩の痛みは神経だからと言って肩の治療はしなくひたすら首筋に電気をかけて、痛みは脳から発していると治療を続けたが治らず。娘が見つけた県内で1軒だけ体外衝撃波治療で音速を超える圧力波で治療をする病院で肩の治療を行った11月13日より肩の痛みは無くなり鎚が打てる様になり今日は初めての火造り。病院の先生から昨日圧力波をかけた時良くなったと言って無理をしない様にと言われていたので3時間をかけてゆっくりと火造り、手の調子も良く曲がりもねじれも無く5年振りに元の様に火造りが出来て大変嬉しかった。肩も足の調子も良くなり、もう少し刀造りを続ける自信が出来た。午後は砂鉄の選鉱と炭切りをして明日の玉鋼造りの用意。手の痺れも少し良くなったようである。昨夜東京の平田君から女の子を出産した旨の電話があり御祝いを送る。少子化の現代3人の子持ちの親となる。頑張って刀工を続けて欲しい。


11月19日 体外衝撃波治療


早朝出勤でスプリングハンマーの部品造りをすまし、1尺2寸迄荒素延べをした脇差を1尺8寸まで伸ばす。スプリングハンマーの調子も良いので本格的修理は先延ばしにして注文を優先とする。火床の上で乾いた砂鉄を集めて作業を終わり、1時間離れた病院へ。足底骨へ衝撃波を新幹線並みの速度でカチカチと音を立てて当てる。治療後帰宅する時は膝から下は痺れを感じるので刀造りは中止して明日に火造りをする。肩も足も良くなり次の治療は来年1月26日まで予約がうまっている。足の悪い人がいかに多い事か。


11月18日 包丁用玉鋼


包丁用に奥出雲町産の粘い鋼になる砂鉄を使用。砂鉄中の鉄分は80%強。全国でこの砂鉄は私以外に1名の刀工が使用している。包丁は7回鍛えで炭素量は低くしなければならないので、ファンの送風量を少なく火力が上がらない様にして20キロの砂鉄で5本分の包丁材料5キロの玉鋼を造る。私の包丁は近代科学を応用してサブゼロ等はしていなく江戸末期位迄の純和鉄であり、近代科学を応用した真空焼入れ等を施した高級ステンレス包丁とは違った古い時代の包丁であり、遠い昔の先祖が使用した包丁に思いを寄せて使って頂ければ幸いである。砂鉄から玉鋼を造り、それで包丁を造っている刀工は私の一門だけである。日本刀に対する思いは包丁にも伝わっていると思う。


11月17日 造り込み


連日高気温が続くので鍛錬は午前中のみで終わり午後は炭切り等雑用の毎日。朝から心鉄を鍛え、皮鉄と合わせての造り込み。先日岩手県から届いた松炭は硬く良く焼けており火力は強いので油断が出来ず温度計は1300度近くを指す。灰汁は福岡県の餅米の稲藁を使用、その上に備前焼の耐火度の低い粘土を使用して沸かす。以後は稲灰を付けながら沸かし延べを続ける。照り返しの温度が高く下着1枚で1尺2寸迄伸ばすが息が続かなくて11時で中止。下着は汗でびっしょりと濡れる。早く寒くなり一日火床を使いたいが明日、明後日も10月並みの気温が続くとの事。午後は火床の上で乾いた砂鉄40キロ程をふるいと磁石で選り分け、たたら炭を切りたたら製鉄の用意をする。老いた体に連日の鍛錬はしんどいので玉鋼造りで体を休めるつもりである。5年間も痛んだ肩の痛みも無く打つ鎚も軽く感ずる。


11月16日 見学会


朝一番に皮鉄鍛錬を終える。途中スプリングハンマーの溶接部がはがれ鋳物溶接棒でも付かないのでステンレス棒で溶接し、他の部分は岡山市の工具店で入手。11時30分大阪から5名来客。私と同年代の建築関係の方が共同で造った炉で玉鋼造りに挑戦している。山中で炭を焼き立派な小屋も有る。たたら製鉄は工学的知識が必要であり、私のたたら炉を解体して有り説明。一生懸命にメモを取ってくれた。羽口の数とファン、炉底の深さ、還元距離、予熱のかけ方、鉱滓の抜く時間、砂鉄と炭投入の時間を丁寧にすれば出来ると思う。近代科学の鉄に対し日本古来の玉鋼に関心を持つのは最近の映画に出る玉鋼の影響もあるのではないだろうか。日本の伝統を今見つめ直すのも良い事である。1時まで説明をするがオートバイで来る人には会えなかったが、折角遠くから来るのだが当方も用事があったのでこれで終わる。


11月15日 好調


本来は休日の予定であったが右肩の痛みが無くなったので嬉しくて昼迄の仕事をする。下鍛えの終わった鋼4個を2つに分けて片方を6回鍛え、もう片方の2個を積み沸かして1個の鋼にして終わる。朝7時用意、7時30分より10時過ぎ迄鍛えるも肩の調子は良い。火床の上に置いた砂鉄も乾き、次の砂鉄を水洗いして火床の上に置く。明日は午前中に皮鍛鍛錬は終わり、午後は砂鉄の選鉱をして次のたたら製鉄で包丁用の玉鋼を造り置きしたい。年末のふるさと納税の注文はコロナウイルスの影響で無いだろうと思っていたが既に注文も入る。昼迄暖かい日差しの中で炭切りをして終わる。妻が毎日自宅の花や木の世話をするので家の周りは木で覆われ季節ごとの花を咲かす。今はもみじがきれいであり、黒鉄もちの真赤な実もたわわになり寒くなり餌が無くなる頃は野鳥でにぎわう町内有数の庭であり、野鳥も巣を造る。薔薇もきれいで春は楽しめる。鉢に植えられた花々は年中咲くので疲れた目も休まる。


11月14日 嘘の様な話


昨夜8時東京の平田君から中心の銘切りの終わった刀が届いたので早々研師宅に届ける。岡山県内にはハバキ師が2,3名しかいなく県内外からの工作依頼が多く順番待ちが多い。ハバキが出来なければ鞘も出来なく仕上げ研ぎも出来ない。この部分がネックであり、受注も2年間程にしなければ刀の納品が出来ない。昨日病院で5年間程痛む肩に注射をし、朝起きるとあれ程痛み鎚が打てなかった肩の痛みが止まっている。折り返し鍛錬も下鍛えが終わり上

げ鍛えに入るが鎚を打っても全く痛みも無くなり5年間の痛みが嘘の様に一夜にして治る。これでまた刀造りを続ける事が出来る。午後は無理の無い様に炭切りと砂鉄の処理で一日を終わる。娘がネットで探してくれた御蔭である。来週は足の治療も有りこれで元の元気な体を取り戻す事が出来ると思う。


11月13日 病院へ


昼に病院の予約があったので朝銀行と郵便局で振り込み、ホームセンターで油等鍛冶場で使用する物を買い、散髪。1時間余りかけて病院へ。肩のレントゲンを撮り、最新と思われる器具で肩の血液の流れが画面に出る。自分の体の血液の流れを見るのは初めてである。今日は痛む肩に注射をして終わり、19日に足の治療の予約をして帰る。自由診療なので次は来年度迄予約でうまっているがそこを何とかして欲しくて無理を御願いする。


11月12日  大疲れ


早朝より折り返し鍛錬6回をすまし、たたら炉に炭火を入れて予熱をかけている間に10時からの1年点検に軽四を持って行き、バッテリー・プラグ・ブレーキシュー等を交換して帰ると昼前。たたら炉送風開始中に昼食。12時20分砂鉄投入開始。その間に宅急便2件、松炭20俵着。岩手県のたたら炭は今回非常に良く4時半たたら炉を解体して玉鋼を切断しての目方は8キロ。砂鉄25キロ、炭25キロを使用。衣料用品店に足袋を取りに行き帰ると6時と最近では一番の疲れ。明日はスポーツ整形の病院へ行くので休まなければならないので今日は思いっきり頑張った一日である。


11月11日 オーバーワーク


私の玉鋼造りの映像を見たのか玉鋼を分けて欲しいとの連絡数件あるも余分の玉鋼が無いので朝から玉鋼造り。来週月曜日もグループで砂鉄を集め炭を焼き、たたら製鉄に取り組んでいる方も来所予定。午後1時30分たたら炉を解体して玉鋼を4等分に切断し、明日朝使う鍛錬用松炭4俵を切り、冷めた炉を塗り直し、明日軽四の1年点検を終えた昼より再度玉鋼造りをするのに炭4俵を切ると夕暮れとなり、休む間もない一日で疲れ果てる。今刀剣ブームで和鉄「玉鋼」に興味を持つ人が増えていると思うが、日本で唯一大型たたら製鉄の玉鋼は刀工にしか販売されていない。自家製鉄小型たたらは江戸時代もあったし、戦前は東南アジアでも造られていたが現代は数名が日本刀や刃物用に造っているのみである。


11月10日 多忙


午前中は鍛錬で下着迄濡れる。午後は砂鉄の選り分け、岩手県からたたら炭入荷。たたら炉に予熱をかけて研師宅へと休む間も無かった。昼食後も来客が有り一人の寂しさも少し癒される。


11月9日 尺と糎(センチ)の違い


今年の夏に注文を受けた刀が出来、研師宅に持って行くと研師さんが長さを糎で測ると8ミリ短い。

心臓が止まる思いで見直したが間違いはない。刀は寸尺の長さで寸法を取るので糎を尺に直した時の私のミスであった。急いで注文主に実情を話す。心の広い方でそれでも良いと言ってくれたので安堵。糎で受注した折当方が1糎程長さを間違っていた様である。長い刀工生活でも初めての事である。確認の大切さを改めて思う。

先日撮影したたたら製鉄の映像が出来ました。【備前長船日本刀傳習所のホームページ、〔傳習所とは]のページにある赤の関連動画をクリックすると見れるようになっています】※赤の備前長船日本刀傳習所の文字をクリックすればそのホームページにつながります。ぜひ見て下さい。


11月8日 鍛錬始め


鍛治場にて鉄の祖神金屋子様を祭る神棚に二礼、二拍手、一拝をして今日より始める脇差の成功を祈願。山本さんが試作の包丁を研いでくれたので地金も斬れ味も判っているし、残りの刀工生活はずっと同じ砂鉄の配合を続ける事にしたのでその第一作の始まりで緊張する。苦労をして直した金床も動かなくなり、クラッチ関係も部品は新品を製作したが取替はしばらく先にして、2日前に溶接をして急場をしのぐ事にした。地金の色も少し青味を持ち鍛伸性も良い。後1年もすれば山本君も専属の刀工として毎日刀造りが出来る。私の配合した砂鉄の鋼を使用すれ良いと思っている。


11月7日 炭切り


朝眼科へ行くとやはり目の中に金属片が刺さっていた。帰ってから中心仕立てを終わり、目釘穴をあけて研師宅へ持って行く用意。今日は1番弟子の山本君も鍛冶場に顔を出したので楽しい1日で、午後からは明日から始める鍛錬に備えて炭切り。小雨が続き肌寒いが砂鉄を水洗いしてたたら製鉄に備える。


11月6日 中心仕立て


刀の持つ所、中心をせん・ヤスリを使って2階の仕上げ場で1日を過ごす。あと半日程の仕事量。鍛錬と違って考える時間が有るので手は動かし自分の歩んだ刀工生活を振り返ったり、家族の事を考え、行く末を思う。朝スプリングハンマーの溶接をした時異物が目に入ったように思ったが、日中は異常も無かったが夕方より目が痛むので病院でもらっていた目薬をさして様子見。明日の朝も痛むようなら病院へ行く。最近は疲れるので夜の読書は当分休む。


11月5日 刀身仕立て


朝は田畑に霜が降りて寒い。半月程前に焼入れをした刀二振りを火床で熱して再度曲がり直し。火床の炭火が恋しくなる。仕上げ場のストーブに火を付けて部屋を暖めながら刀身の仕立てを夕方迄行なう。年のせいか1人仕事が淋しくなる。岩手県の炭問屋に電話するが炭焼人口が減って入手困難状態。県内は予約の半程出来たとの事。松炭が無くては刀が造れないが若い刀工の将来を心配する。


11月4日 金床修理


今日の朝食は昨日金屋子神社の秋の大祭で氏子さんが真心を込めて作った小判型の御供えの御餅を頂き元気が出る。朝から届いた鋳物の溶接棒を使って鋼とを溶接するが、手槌で叩いても取れないが上に2個の小さな金床を置いて玉鋼を叩けば溶接が外れる。数回繰り返すが結果は同じで鋳物の溶接は難しい。良い方法は鉄工所で金床を3ミリ程切断して水平を出せば良いのだが、鍛冶場から出すには鍛冶場の屋根を壊してクレーン車で出さなければならず大仕事になるので鋼の鉄筋を薄く、楔形の物を多数造り金床の間に挟み四方の水平を出して叩き傾いた所に楔を打ち徐々に水平を出して叩いても動かなくなるまで空間を埋める。午後2時やっと終わる。スプリングハンマーを移動して8年間注文で多くの刀を打ち続けたので大きな金床の面が傾き陥没したのである。ここ迄耐えた金床に感謝して修理をしながら鎚を置く迄大事にしたい。明日中にはメーカーからクラッチ関係の新しく作られた部品が届く予定。


11月3日 金屋子神社参拝


昨夜は良く眠れ、心地良い参拝日を迎える。妻と2人して紅葉の始まる出雲路へ。コロナ対策をした中で玉串を奉げ今月も無病息災で作刀出来る事を祈願して御祓い頂く。氏子さんの案内で安部宮司様の生家へ。なによりも御元気で正月に97歳になられる宮司様の御顔を拝し、九州の奉納刀の下研ぎが終わり工作に出し1月から仕上げ研ぎになる事を報告し帰路へ。途中ゲゲゲの鬼太郎で有名な境港市で海鮮丼を食して帰宅。御元気な宮司様に御会い出来て本当に良かった一日であり、明日から又頑張れる。


11月2日 振替休日


雨は降り続く。予定では雨の今日にたたら製鉄だったが予定1日前の撮影時間は長く感じられ、炭の種類も砂鉄の配合も変えているので炉を解体した時に出る玉鋼を心配しながらであったので大変疲れ、今朝も体中が痛むので寝て疲れを取る。雨の日は静かで良く眠る事が出来る。1週間の疲れを取って明日の金屋子神社に元気で参拝し今月も無事故で刀造りが出来る事を御願いしたい。


右手の小指は腫れて今だ痛むが毎日寝ていると体全体が弱るので鍛冶場で軽く炭切り。初めて長い事寝たが今だ体中が痛む。運動神経が鈍り転倒、老化現象が始まったのであろう。倦怠感につつまる。無理をせず健康に気を付けて1週間に1度の休みを取ればもう少し頑張れると思う。明日からは少しだけ鍛錬も始める。残りの人生に使う砂鉄は確保してある。余れば弟子が使えば良い。


11月1日 玉鋼


3世紀頃より明治時代後期迄は日本の鉄文化は磁力の有る鉄鉱石か砂鉄よりの和鉄を用い日常鉄製品から日本刀まで全てをまかなっていたが磁力の無い外国製鉄鉱石による近代製鉄鉱石による近代製鉄になり、わずか150年前の製鉄を知らない人が多い。鉄造りのたたら製鉄をしている現場を取材して自家製鉄での玉鋼を紹介したいと言うので1日前倒しで造る。雑炭から松炭に燃料を変えて火力を高めたので鉱滓は良く流れ玉鋼はきれいである。スプリングハンマーの部品も製造会社から電話があり製作して頂ける事になった。


10月31日 打ち合わせ


昼迄販売の打ち合わせ、来週撮影に来る事となる。午後はメーカーさんより4時間に及ぶ対談について宗近君との打ち合わせ。玉鋼について映像を取りたいとの事で明日たたら製鉄を実施する事にして砂鉄の用意をする。今岡山県内では連日コロナ感染者が出ているので11月3日は内々に秋の大祭が行われるが気を使って11月1に参拝の予定であったが、妻が宮司さんに御目にかかり御祓いをしてもらった方が良いとの事で金屋子神社の参拝は11月3日にする。


10月30日 用意


スプリングハンマーの古くなって痛んだ部品の寸法を測り図面を書いてメーカーに送る。機種は違っても同じメーカーなのでなんとか製作してもらえると思う。鋼も無いので松炭を切りたたら製鉄の用意をして雨天に備える。明日は包丁販売の商談が終われば金床を溶接して修理をし、部品が届けば取り換えて次の注文刀製作に入る予定。何かと忙しい一日であった。


10月29日 試作包丁


昨夜は疲れて10時間眠る。人生初めての事である。スプリングハンマーは修理出来たが鋳物の金床台の上に2個の金床があり長年の使用で金床台が3ミリ程金床の形がへこみ鉄板を詰めても動きが止まらず、仕方がないので手打ち。包丁の鋼は北國産混入で7回鍛えでは粘りが出ず。鍛え回数の多い刀になれば脱炭して粘りも出ると思う。鍛肌は大板目。斬味は良い。11月1日に金屋子神社に参拝してからたたら製鉄を行うのでそれ迄に準備する。今回配合した鋼は火花試験では火花が小さく炭素量は不明だが包丁の土置通りに焼刃は入る。


10月28日 故障


これから同じ砂鉄配合を続けて刀を造るのに試作の玉鋼を包丁に7回鍛えて素延べの途中にスプリングハンマーのクラッチが故障。25年程前にも卒業した弟子が使用中にクラッチが故障したことが有り万事休止と思った。昼から夕方迄かけてなんとか修理。45年間も打ち続けたハンマーは部品も無く修理を続けながら打っている。刀鍛冶が続く限り相棒であって欲しい。


10月27日 続ける事


同窓生の紹介で備前焼作家が来所する迄に降し鉄や、梃子の補強を行い次の試作準備をする。私もずっと10年以前から備前焼作家の廃業を見聞きしてきた。焼き物が売れなくても続ける事はいかに苦しい事か。刀工も注文が無くて会社に勤めての日曜鍛冶も多い。独立した弟子も玉鋼を造り包丁やナイフ刀等を造って鍛冶仕事から遠ざからないでいる。独立しても辛抱の期間は有る。それを乗り越えた時本当の刀工になる。武漢ウイルスで独立して間もない弟子は不運だが鋼造りの技術で他方面に伸びる事も考えなければならない。


10月26日 炭入荷


休日の予定であったが岩手県より炭が入荷するので中心仕上げをしながら待つ。土曜日のたたら製鉄の疲れが続く。先月の炭と違って今月の炭は良さそうである。仕上げた中心3振りを持って研師宅へ。明日の来客3名で今月の予定は終わり少し楽になれそうなので肉体、精神の疲れ取りの為早仕舞い。今夜から頂いた鋼に関する近代製鉄の最先端技術の資料等に目を通し始めたたら製鉄、刀造りの資料としたい。


10月25日 炉組立て


昨日たたら製鉄で使用し冷えた炉の変化を見て炉の塗り替えを行い、いつでも使用出来る様に準備。週半ばから今回配合した砂鉄の良否を包丁で見て良ければずっとこの配合を続ける。この1年間たたら製鉄で出来た2トン程の鉱滓を業者の方に引き取ってもらい来年も御願いする。山本さんと2人午後は早仕舞い。月2回、4日間は山本さんと2人なので楽しく過ごせる。山本さんの専業刀工迄の後1年間を首を長くして待っている。


10月24日 たたら製鉄


朝迄一睡も出来ず。種々思いて眠れぬ。それでも新しい砂鉄配合の結果を知りたくて決行。午後2時30分早めに終了して玉鋼を得る。この鋼の配合比率でずっと造り進むつもりである。疲れた一日。


10月23日 たたら準備


たたら炉解体、塗り直し、炭切り、鉱滓の袋詰めをして廃棄炉に処分用意。火を付けて予熱準備。夜は九州より砂鉄を送ってくれた友人を迎えて刀の地金話に花が咲く。明日は山本君も鍛冶場で作業の予定。


10月22日 休養日


本来休みではないが激務が1週間程続き朝起きれないので休んで寝る。雨音を聞きながら時折夢もみる。温泉へ行く気力も無い程に疲れていたが寝るとあれ程痛んでいた両手の関節、首、肩の痛みも減少。無理して火造りをした右手の痺れも幾分楽である。もう少し作業時間を減らして年相応にしなければ弟子の山本さんが専属の刀工となった場合に教える事が出来ない。後1年が待ち遠しい。教える事は山ほど有る。独立した弟子達も刀造りの経験は少ないので遠く離れて自分の鍛冶場を持って、それなりに包丁の仕事が忙しいので修行に各方面に出るには勇気がいるし、生活が安定しないと行けない。若い時でなければ修行に行けない。


10月21日 焼入れ


約1カ月間かけて2振りの刀を鍛えて焼入れを行う。途中にはスプリングハンマーの修理等有り苦労したが、後は刀身・中心仕立てに1週間あれば研ぎに出せる。研師宅には順番を待つ刀が金庫一杯に有る。今7振りを出しているが年内に短刀が3振り出来る位で、九州への奉納刀は年内にハバキ・白鞘が出来新年からでないと順番が廻って来ない。世の中不景気と言われるが日本刀ブームで職方は忙しい。明日からはたたら製鉄を行い玉鋼を造り次の注文刀造りに入る予定。明日は雨なので焼入れには不向きなので早出、昼休み無しの日々で疲れ切る。独立した弟子もこれだけ注文刀を造る機会を見れば技術も上達するであろう。独立して1人になれば必ず作刀技術の壁に当たる。しかしながら見学に来て勉強しなければ技術は伸びない。


10月20日 火造り


2本目の素延べ途中に刃先に膨れが1cm程出たので削り落として火造り完了。黒皮を落としていると膨れ傷が微かに残っておりベルトサンダーで落としてせんで削り落とし、棟と鎬地をせん・ヤスリで整えて平地のせんかけは残して明日にする。たった1か所の傷で全てが台無しになる時も有り多数の砂鉄を混合すると面白い地金になるが日刀保玉鋼と比べて自家製鉄は傷が出易い。もう玉鋼の在庫も無くなったので次回からは1振り分のたたら製鉄でもう同量の配合比率を続けて地金の安定性を高める予定。夕方早仕舞をして病院2軒を廻る。


10月19日 焼き入れ


疲れているのに真夜中に目覚め今日の焼入れを考える。ミリ単位で長さの注文であり焼入れ時の反り具合で長さも変わる。北國産砂鉄入っており炭素量は高く、反り具合で手持ちも変わるが無事通過、曲がりを直し中心の焼き戻しを終わり内面応力を抜くのに1週間程寝かす。多分金筋も出ている事と思うし鍛え肌も良く出ているだろう。


10月18日 広島県へ


党員3名で中国ブロックの会合へ。新幹線より車の方が武漢ウイルスに感染しにくい。憲法の講義。GHQに押し付けられたアメリカ製日本国憲法(基本法)を変えない限り戦後は終わっていないのである。唯一維新政党新風のみが戦後体制打破を訴える政党。しかし党員が少ない。国民の自虐感からの解放を訴え続ける。


10月17日 思う事


武漢ウイルスは増え続けているので25人の家族葬で葬儀は終わる。料理も全員持ち帰り。76歳で人生を終えた義理兄の人生を振り返る。1度しかない人生に何を残したであろうか。振り返って我が人生73年を思う。大手建設会社を退めて刀鍛冶として独立以来41年間刀工として古刀期の地金を求めて砂鉄よりの刀造りを進めて何とか見通しが立つ頃には満身創痍。残りの人生を刀造りで終われば悔いは残らないと思う。


10月16日 気持ち


午前中葬式会場で妻の兄の納棺を終えて昼に帰り夕方の通夜に備える。76歳とまだ若いが透析を受けながら入院したが3日前容体悪化で岡山市の病院のICUに入るが2日後に死亡。原因不明で翌日病理解剖となり今夜通夜を迎える。人生の終末は判らない。自分の寿命が尽きる迄不屈の信念を持って刀を打ち続けるしかない。右手の痺れは一生治らないので嘆くより、作刀で部分的には助けを借りてでも打ち続ければ自分の一生に悔いは無いと思い金屋子神社に毎日祈ってこれが最後の作になるつもりで過ごした。死亡して我が魂は金谷子神社の足下に帰るつもりであり、その後の事は妻と娘に話してあり倒れるまでは作刀を続けたい。気持が蘇る。


10月15日 登録日


丁字刃、小沸出来でいたる所に金筋現わる。今年の脇差では1番の出来。昨年は刀の注文、今年は脇差の注文を頂く。最近では関東地方の注文が多いが10月は兵庫県から久しぶりの注文が入る。荷造りをして注文者に送る。明日は身内の通夜、明後日は葬儀で2日間作刀は休みとなる。


10月14日 せんかけ終わる


昨日せんかけをした刀の手持ちが少し前半分が重たいので重ねを削り落とす。これで反りが付けば軽くなると思う。大切先の注文であるが寸法が短いのでバランスが取りにくいので焼き入れ後多少の調整が必要と思うので中心の重ねは厚くしてある。刀は斬るか、突くかにより体配を考えるが、おまかせ注文が1番楽である。焼入れ炭が無いので夕方迄炭切り。明日は刀の登録日なので週末焼き入れ予定。