4月11日 弟子3人の折り返し鍛錬の指導日。どの弟子にも私の沸かしを見せているが鋼の沸いた時の火花が判らなくて鋼を燃やしたり、鋼が沸かないのに叩いたり、ほぼ私と同じ温度で鋼を沸かす弟子もいる。仕事が出来る、出来ないの差は一体どこから来ているのかと考える。もって生まれた器用さだけではないと思う。そこにはどうしても刀鍛冶にならねばと思う情熱の違いではなかろうか?背水の陣で臨む真剣勝負の心意気か? tagPlaceholderカテゴリ: