朝から異なる成分の玉鋼を組み合わせて折り返し鍛錬を昼迄進めるがスプリングハンマーの調子が悪く非常に疲れる。購入して丁度50年になる。午後はセンターピンの補助ピンを造り溶接をして修理し20日からの鍛錬に備える。
岩手県産の松炭は火力が強く沸く時間が早くて狭い室内は直ぐに40度近くになるので体力の限界も早く3時間の折り返し鍛錬で中止となる。午後は明日使用する炭を夕方まで切る。弟子は刀の素延べと包丁の研ぎをする。
肩と膝の痛みは続くので今日も休みとする。庭のコオロギも賑やかに鳴き秋が来たと感じるが日中は残暑も厳しくいつ迄夏が続くのかと思う。注文刀の製作と同時に弟子刀工と刀工を目指す弟子の指導にも疲れる。病気持ちの弟子2名とケガ持ち弟子1名。元気で修業に耐える事の出来る弟子は1名のみ。全員を刀工試験に合格さすのは生易しい事ではなく指導を行なう刀工弟子も技術力は低く悩む。それでも前に進まねば本物の刀鍛冶は出来ない。「長船刀工養成所」の生みの苦しみか。
肩、足の痛みは消えず折り返し鍛錬は中止して休む。1日の無理が年を経ると回復が遅くなり数日もかかる。残暑も厳しく朝の気温も下がりにくいので心臓に負担をかけないでもう少しゆっくりしていたい。
昨日のスプリングハンマーの修理で両肩と膝が痛み今日は弟子の作業を見て明日の定休日は一人仕事で折り返し鍛錬をする事とした。K君は包丁の焼き入れをして研いでいる。弟子1名は病欠。2名は体調が悪く見学。刀工弟子は刀の素延べに手間取る。
早朝より岩手県産の高級松炭を使って鍛錬開始。弟子には違った方法の折り返し鍛錬を見せる。まだ暑いので3時間が限度である。最後に残った弟子も進級テストに合格。弟子5人が競うので全員の実力は上がってくる。午後はスプリングハンマーを2人で解体して修理。200Vの溶接機があるので修理は助かる。今夜は県境の町へ勉強会に出掛ける。
午前中は刀製作に使うてこ棒造りを弟子に見せる。てこ棒は刀の材料と同じ鋼でないと研ぎ上がった刀の地金の中に変な変わり金となり 、また鍛接面に傷となる事があるので注意が必要と教える。午後は今春高校を卒業して入門したW君がてこ付けと折り返し鍛錬を上手にこなし2段階の進級とする。先輩のU君も横から時折アドバイスもいれ仲の良い兄弟弟子関係に少し点数を甘くする。まだ日中は高温でも早朝は涼しいので少しずつ刀製作に入る。
まだ斬れ味を見ていない包丁があるので明日より始める刀製作の前に研ぎ上げてみる予定だったが膝が痛みて半日で中止して後日に廻す。
予定より早く松炭が届く。岩手県産の松は年輪が積み良くしまり軽い。この様な炭が火力も有り炭が長持ちをする。12日からの刀製作用に大雨の中通路で炭切り。てこ棒を造るには岡山産の松炭を切り用意修了。弟子刀工は刀の素延べをするがまだ2日位を要し炭の使用量は多く岡山産の炭を買わなくてはならない。
岩手県より松炭が入荷する予定であったが炭屋さんの袋詰めが遅れて2日後に入荷する事になり予定を変更して焼き入れの終わった試作包丁4本を荒砥ぎして1日を過ごす。山では全国的に松くい虫で松は枯れ炭焼職人も年々少なくなり刀工は皆困っている。炭がなければ鋼も造れなく弟子の育成も出来ないが「鍛刀報国」の灯は消してはならない。
注文刀に使用する玉鋼の性質はすでに包丁で試作してあり幾分朝の気温が下がった今朝より炭を切り2個の玉鋼を切断する。この玉鋼を心鉄と皮鉄に選別して明日からは鍛錬に入るので弟子達は見学となる。日中は残暑も厳しく鍛錬は朝の3時間位の作業にして午後は試作の包丁を研ぎ上げて販売し弟子の育成費となす。
体調の良くなったW君が折り返し鍛錬の練習。午後にはU君、T君、W君の3名が包丁に土置きをして来場者の前で焼き入れ。台風一過涼しくなると思っていたが鍛冶場は40度を超す気温となり大汗をかきながらの作業であった。
先日A氏から頂いた新米を弟子達と一緒に食し皆おいしいとの感想。本当に有難う御座いました。皆元気が出て午後はヨーロッパ人7名と日本人数名の前で折り返し鍛錬と外人2人が包丁に土置きをして一緒に焼き入れを行う。楽しい一日であった。
昨夜は台風15号の雨音を聞きながら久し振りに明け方まで眠る事が出来た。涼しいので弟子達の指導内容を考えて鍛冶場に出るが弟子4人は体調を崩して休む。私も玉鋼の試作も終ったので来週より朝の涼しい時間帯に刀造りを始める事とする。
流れる汗は全身を濡らし熱いので肩で息をする程に疲れる。10キロの玉鋼を1000度まで熱し、火箸1本で持ちタガネで折り返し鍛錬が出来る大きさに切断する。定休日でも親方の仕事を見なければ技術の向上は無い。努力と工夫は自分でするものである。
今日も寝不足で頭痛。弟子刀工は朝早くから自身で造った玉鋼を鍛えてナイフを造り市販の物と比較している。近代製鉄は斬れる事の地金を科学で造ってあり地金の美術性を求めていないので競争は無益である。我々の造る刃物は江戸末期までの玉鋼による復元刃物である。
朝から暑くても弟子刀工は鍛錬をしているが熱中症の注意報が出ており今だ血管の狭い部分があり詰まって倒れる危険もあり私は鍛冶場の片付けや火床の修理等をして過ごす。弟子が卒業する迄は絶対に倒れてはならない体である。
睡眠薬を2倍飲むが朝迄眠れず。金屋子神社参拝は娘の運転となる。一家と一門の健康を御願いして帰るが途中知人の家が見つからず。2時間を探しまわりて疲れる。
今日も早出で8時まで折り返し鍛錬を弟子に見せる。鍛冶場は40度越えで作業は中止。昼迄弟子刀工は刀の素延べをするので見学。午後は新しく炭焼きを始めたい企業者が来訪。今弟子と共に5名が刀造りに励むが刀工養成所を設立したので人数が増えるかもしれず炭不足が考えられるので炭入荷先は多数必要である。
猛暑の中弟子達はてこ付けと折り返し鍛錬に苦労している。室温が40度になるとクーラーの有る居間で休憩。午後は注文刀の試作用に鍛えた地金を小包丁に火造り練習をさす。今日は1年8カ月で1000俵に最後の松炭90俵が入荷し良く使ったものだと一人思う。
青森県の磁力の無いヘマタイト砂鉄の素延べ鉄板2本を弟子2人が火造り、焼き入れを行う。刀工試験の半分の長さであるが身幅も広く刀工試験に備えた練習である。早く上手になり脇差を作れる技術になって欲しい。今武術家の求める刀は折れず、曲がらず、良く斬れる刀であり日刀保玉鋼では無理であり刃文を見るだけの刀しか出来なく刀工自身が日本産砂鉄より玉鋼を造る技術を持たねばならない。世界の人々は日本刀を武器として見ている。日本刀を使う時代では無いが武士道がある限り腰の一刀に命をかける事の出来る日本刀でなければならない。「長船刀工養成所」から日本刀の維新が始まるのである。
朝両膝が痛みスプリングハンマーのペダルを踏むのは無理なので定休日の今日は疲れた体をクーラーのきいた部屋で寝て過ごす。弟子達も明日の修行に備えて休んでいても技術の向上を真剣に考えなければ各工程の試験には合格出来ない。一度しかない人生を無駄にしてほしくない。
2日続けて早出して折り返し鍛錬をしたので少し疲れが出る。午後はスプリングハンマーの修理をして明日に備える。今日は弟子刀工とK君と私の3人なので昼食は少し奮発をしてカツカレーを食して元気を付ける。
下手な表札ながら「長船刀工養成所」を開設し愛国心を持って日本の文化伝統を守る維新の日本刀製作を砂鉄よりの玉鋼造りから折れず、曲がらず、良く斬れて働きのある地金造りを目指す青年を育成する事とした。
条件は
①3か月間の試用期間で武士道精神があり手先の器用な青年
②自立心があり日中は刀の修行。夜は生活費を稼ぐのにアルバイトをする意思がある青年
③刀工試験に合格後刀工として独立出来る青年
④年齢は20歳前後である事
以上
一人暑い鍛冶場で地金試作の包丁2本を研いで斬味を知る。毎日暑い日が続くが2カ月もすれば涼しくなる事と思う。その時から始める注文刀製作に備えて多数ある在庫の玉鋼の一部を切り取って試作研究をしなければ斬れる包丁も、斬れる刀も出来ない。
昭和20年8月25日自刃の大東塾芦田林弘烈士の80年祭が古里津山市の碑前にて御遺族出席のもとに盛大に行われる。
共同遺書
清く捧ぐる吾等十四柱の皇魂
誓って無窮に皇城を守らむ
朝早くより10キロの玉鋼を火床の中で1000度近くに熱し弟子の前で切断方法を見せる。2人の弟子が梃付けと折り返し鍛錬の練習。指導方法を刀工養成所方式にしたので弟子の技術上達が見え始める。午後はヨーロッパより20人ほどの見学者があり始めて弟子達が折り返し鍛錬を見せる。包丁に土置きをして私が焼き入れ。
朝弟子に玉鋼のまとめ方を教え、弟子2人に火造り、土置き、焼き入れをさす。古参のU君と新人のW君の2人にとって私の地金の包丁の焼き入れは初めてであるが常日頃私の焼き入れを見ているので上手に焼き入れが入る。今日は荒研ぎですまし後日手研ぎで小包丁に仕上げる予定。鍛冶場は40度を超える暑さなので涼しい時間帯の作業を続ける。
最近地金の研究で包丁3本を造った疲れか今朝は体がだるく折り返し鍛錬は中止して横たわる。明日弟子の練習の折に見学さす。連日の暑さなので心臓も少し休まさねければ残暑を乗り切れない。
朝6時よりK君が包丁3本を火造り。午後に土置きをして焼き入れ。姿直しで終わり後日荒研ぎの予定。朝夕は自宅周りで秋の虫も鳴き始めるが日中は暑く熱中症に気を付けながら包丁の刃文を確かめる。明日からは本格的に包丁造りを秋迄続けて東北の砂鉄の研究に入るが磁力の無い砂鉄を刃物にするのは難しいが成功すれば玉鋼不足も解消する。
先日刀の地金造りに試作した包丁2本を研ぐが斬味は非常に良く涼しくなってからの刀の地金はこの砂鉄配合にする。明日はこの包丁に柄を付けて販売用とする。刀造り迄はまだ2カ月近くあり弟子の親方が一生懸命に炭代を稼ぐが弟子達は炭を浪費するだけで一向に技術が伸びないが刀工養成所の9段階を合格する迄は刀工試験は受験させない。来年度の入所者は心身ともに健全者に限り3か月の使用期間を設け器用さも見て有能な若者だけを養成したい。
早朝の折り返し鍛錬で疲れた体を横たわりて砂鉄の性質と混合割合、そして製鉄方法と沸かしの温度を考える。出来た包丁の斬味と地金の働きを涼しくなった秋からの刀造りに生かしたい。
連日暑い日が続き寝不足であるがK君に私の沸かしを見せるのに朝6時から鍛錬を始める。8時過ぎには靖国参拝から帰ったW君が来たので6寸の包丁の火造り練習に入る。今年山梨県の工業高校機械課を卒業しての一番若い青年であるが熱中症を心配して余り作業はさせていないが涼しくなれば鍛錬で忙しくなる。焼き入れ水温が35度と今迄にない高水温なので氷を入れるが水温は32度迄にしか下がらず苦労をした焼き入れであった。
昨日焼き入れた砂鉄の試作用包丁2本をベルトサンダーで荒研ぎをする。非常に粘りの有る鋼で斬試刀に向いているが鍛肌が少し大き過ぎる。明日から又斬試用の玉鋼を鍛えるのでスプリングハンマーの金床をステンレスの溶接棒で溶接をし、稲わらを焼き明日の鍛錬に備える。刀と包丁製作用に450俵を焼いてもらった松炭も使い果たす。
朝4時の岡山県護国神社の参道はみたま祭りの提灯が大鳥居から御本殿まで明るく続く。御本殿で大東亜戦争で国家の為に一命をささげ散花した御英霊に感謝の誠を祈念する。鍛冶場では鋼の試作包丁を火造り2本を焼き入れ、研ぎは明日にしてK君の折り返し鍛錬の見学。
鍛冶場に住み込んでいる弟子が墓参りの為に帰り無人なので一人作業をしていて熱中症で倒れたら弟子の指導が止まるので中止にして帰宅。今迄2度倒れ、そのしんどさは知っており命が一番大事である。その大事な命を大東亜戦争で国の為に差し出した英霊の眠る靖国神社に天皇も首相も参拝しない不道義国家で良いのか?弟子3名が夜行バスで東京に向かい明日は一門を代表して参拝する。
朝私用をすまして鍛冶場へ。昨日の包丁研ぎで腰、肩が痛むので横たわりK君の包丁の斬味について炭素量以外に焼き入れ温度と水温が私と違っていたのではないかと思ってみるが小板目の鍛え肌は良く出ている。地金に粘りが有っても硬すぎると刃がつきにくいので手間取る。そんな問題を解決しながら刀の地金研究を続ける姿勢が大切である。他の弟子と違うのは守るべきものがある事である。そして日本の文化と伝統を受け継ぐ不屈の信念がある事である。
弟子2名が顔を出して作業。刀を造る事が出来ない弟子は休暇でも刀工修行をしなければ刀工になれない。刀工試験に合格した弟子も私の試験に合格しなければ刀工で生活は出来ない。日本は広い。日本刀造りに生命をかける事が出来る青年もいると思う。日本刀は折れず、曲がらず、良く斬れて尚美しい刃文と地金でなければならない。いつ迄も使えない玉鋼を使わず日本産砂鉄で自ら玉鋼を造らねば日本の文化伝統は滅びる。
8月18日まで夏休みなので鍛冶場は静かであるが私の心臓の調子が良くなれば沢山の注文刀の製作を始めるのでその前に地金の鍛肌の研究をしているので今朝も包丁を鍛えている。一人仕事は楽しいものでゆっくりと研究してたたら製鉄と沸かしの技術を後に続く弟子に残したい。
雨は降らず蒸し暑い朝。弟子5名の前で刀の心鉄と皮鉄を合わせる造り込みを見せる。火力の強い松炭は照り返しの温度も高く汗はしたたり落ち心臓の鼓動も激しくなる。午後は大雨となり涼しくなるが時遅し。
午後は展示室でヨーロッパよりの来客10人に砂鉄より玉鋼を造る工程の説明。質問多し。弟子刀工の沸かしに私と新人のW君が向槌。その後私が包丁の表に土置き。女性の外国人が裏に土置きをして焼き入れをして刃文を完成。今日の作業はヨーロッパ人に大変喜ばれる。夕方にはW君がベルトハンマーを使い沸かしの練習。大雨は降らず。
朝弟子刀工の鍛錬を見るが自己流で私の沸かし温度と違って低温なので鉄の中に空気の入ったふくれが出てふくれを切りながら進めるがふくれは止まず。K君は火の温度が判るのでふくれは出ないので包丁になってもキズは出ない。これから弟子達の試験は合格まで続く事になる。
備前長船日本刀製作所
岡山県瀬戸内市長船町長船93
TEL 090-3377-2138
FAX 086-958-5080
上田祐定